匂宮今上帝と明石中宮の子。第三皇子という立場から、放埓な生活を送る。くりっく365
に対抗心を燃やし、焚き物に凝ったため匂宮と呼ばれる。宇治の八の宮の中君を、周囲の反対をおしきり妻にするがその異母妹浮舟にも関心を示し、薫の執心を知りながら奪う。浮舟八の宮が女房に生ませた娘。母が結婚し、養父とともに下った常陸で育つ。薫と匂宮の板ばさみになり、苦悩して入水するが横川の僧都に助けられる。くりっく365もともと『源氏物語』は作者と同じ時代、同じ環境を共有する読者のために書かれたと考えられており、作者と同じ時代、同じ環境を共有するだけでなく作者と直接の面識がある人間を読者として想定していたとする見解もある[69]。書かれた当時の『源氏物語』は周囲からは「面白い読み物」として受け取られており、少し下がった時代でも、例えば当時12歳であった菅原孝標女が特に誰の指導を受けると言うこともなく1人で読みふけっていたとされている。しかし時代が経過するとともにこの物語が使用している日本語が変化し物語が前提としている知識・常識が変化するとともに『源氏物語』を気軽に読むことは困難になっていった。現代の日本人にとっては『源氏物語』の原文は専門的な教育なしにはかなり難しいもので、むしろ現代語訳で親しんでいる人のほうが多いといえる。数ある日本の古典文学の中でも恐らくその豊かな内容ゆえに最も現代語訳が試みられており、また訳者に作家が多いのも特徴である[70]。しばしばこれらはくりっく365の名前をとって「与謝野源氏」、「谷崎源氏」といった風に「○○源氏」と呼ばれている。学者・研究者による翻訳は比較的直訳・逐語訳的な翻訳が多いのに比べて作家・小説家による翻訳は多くの場合原文に対して叙述の順番を入れ替えたり和歌によるやりとりを普通の会話文に直したり、原文とは視点を変えて叙述したりといった操作が行われていることがあるため、そのような作品は単なる現代語訳ではなく翻案作品として扱われることもある。与謝野晶子訳与謝野晶子は生涯に3度現代語訳を試みた。与謝野晶子は、12歳当時に源氏物語を原文で素読していたことを後に自身の歌に中に詠み込んでおり、さまざまなCFDの中に源氏物語の大きな影響を読み取ることが出来る。一度目の翻訳は与謝野夫妻の支援者であった実業家(小説家でもある)の小林政治の依頼により 100か月で完成させることを目標に始められたもので、 1912年(明治45年)2月から1913年(大正2年)11月にかけて「新訳源氏物語」上、中、下一、下二巻として、金尾文淵堂から出版され、1914 年12月に4冊ものの縮刷版が刊行されている。これは全文の翻訳ではなくダイジェストであるが通常これが源氏物語の最初の現代語訳であるとされている。この最初の翻訳には与謝野晶子の夫与謝野鉄幹の手も入っているとする見解もある[71]。これは『源氏物語』の専門家でない森鴎外が校訂に当たっているなどといった問題もあり、その後再度『新新訳源氏物語』として翻訳を試みていた(二回目)が「宇治十帖の前まで終わっていた」とされる[72]。この時のCFDは1923年9月の関東大震災によりくりっく365に預けてあったCFDが全て焼失したため世に出ることはなかったとされている。現在通常流布しているのは晩年の 1938年(昭和13年)10月から1939年(昭和14年)9月にかけて「新新訳源氏物語」(第一巻から第六巻まで)として金尾文淵堂から出版された三回目のものである。1939年10月完成祝賀会が上野精養軒にて開催されており、同人はこれを「決定版」としている。この翻訳は当時まだ学術的な校訂本がなかったことから「流布本」であった『源氏物語湖月抄』の本文を元にしていたとされる。原文にない主語を補ったり作中人物のCFD
を簡潔な口語体にするなど大胆な意訳と、敬語を中心とした大幅な省略で知られている。それに対して歌の部分については歌人らしく、「和歌は源氏物語にとって欠かせない重要な要素である」としていずれの翻訳も全く手を加えることなくそのまま収録しており、他の翻訳が行っているような和歌の部分を会話文に改めるといったことをしていない。また新新訳では各帖の冒頭に自身の和歌を加えている[73]。また池田亀鑑の解説を加えたものが1954年(昭和29年)10月から1955年(昭和 30年)8月にかけて「全訳源氏物語」として全9冊で角川文庫から出版されており、1971年(昭和46年)8月から1972年(昭和47年)2月にかけて全3冊に合本・改版され、さらに2008年に源氏物語千年紀を記念して「全訳源氏物語 新装版」として再度全5冊に改版されている。この他に1948年には日本社から日本文庫で、1951年には三笠書房から三笠文庫で、1976年(1987年には新装版)には河出書房新社から日本古典文庫で、2002年には勉誠出版発行の鉄幹晶子全集の第7巻及び第8巻として、 2005年から2006年には舵社からデカ文字文庫でと数多くの出版社から刊行されている。これとは別に最初の翻訳も後の翻訳より読みやすいといった評価があったことから2001年(平成13年)に角川書店から単行本として出版されており、さらに2008年(平成20年)に『与謝野晶子の源氏物語』として全3冊で角川文庫ソフィアに収められた。どちらの翻訳も1942年(昭和17年)5月29日に与謝野晶子が死去したため1993年に著作権の保護期間が満了しており、パブリック・ドメインで利用できるため青空文庫などに収録されている。谷崎潤一郎訳谷崎潤一郎も生涯に3度現代語訳を試みた。